「ゼロステップ」とは?
行動にはきっかけが伴います。
学びを得るための行動、きっかけ、つまりステップの前段階を「ゼロステップ」と呼び、若手社会人時代の自己成長につながった悩みの乗り越え方やエピソードを紹介します!

こんにちは!

管理人の工藤です。

現在は人事系の仕事をしつつ、副業で家庭教師や動画編集、YouTubeなどをしている私ですが、大学卒業後に勤めた企業は学習塾でした!

今回は「ゼロステップ」の第1回として、私が社会人3年目にはじめて学習塾の「教室長」になった際に感じた悩みとその乗り越え方を紹介します!

若手の社会人の方など、色々な方のヒントになれば幸いです!

今後は、私以外の方の「ゼロステップ」も随時公開していくのでお楽しみに!

1.6歳年上の女性の部下

大学を卒業し集団授業の学習塾に就職した私は、はっきり言って優秀なほうだったと思います。

同期の中では授業が上手いほうだった自負はあるし、生徒に得点を取らせることもできていました。

おそらくこの「得点を取らせられる」ということが評価されたのでしょう。

社会人3年目になると同時に「教室長」の辞令が出ました。

同期の中では最速に近いペースだったのですが、配属先を聞いたとき、正直固まりました。

東京都のとある教室だったのですが、近年の成績はとにかく絶好調。

ベテラン教室長の元、目標の150%とか200%とか、ものすごい数値をたたき出している教室だったのです。

今となって考えれば、状態の良い教室に置いてもらえたのは、当時の上司の親心に近い気持ちがあったようにも感じますが、当時はとにかくプレッシャーでした。

しかし、最大の「固まりポイント」は職員。

部下が6歳年上の女性だったことです!

2.とまどいと感性の違いと

学習塾は「男社会」です。

会社の男女比率は8:2くらいで男性が多く、事務職員を除くと、男ばかりと言っても過言ではありません。

その中で、その6歳年上の女性講師「Tさん」は、特別な存在でした。

ご家庭の事情で教室長にはならないものの授業力は抜群。

ビシバシとスパルタ教育で生徒の学力を伸ばす、女性職員の憧れのスーパー講師でした。

このTさんと私は、とにかく感性が合いませんでした。

私は中学生は「完ぺきではない」という考えが強く、大人に向かっていく過程の中で「逃げ道」というものも時には必要だろうと考えていました。また、元来楽天家で優柔不断な性格ですので、ある程度の言い訳は許していました。

一方、Tさんは弟・妹がいる長女で責任感がとても強い。曲がったことは許さず、言い訳をつぶし逃げることを許さない。おそらく、私の方針にも思うところは多くあったのだと思います。

そんな状況ですから、生徒が退塾したときには、考え方の違いから口論に近い状態になってしまうこともありました。

3.私の失敗

口論になってしまったことも含めて、私の一番の失敗は「教室長だから引っ張らないと!」「自分の考えで運営するんだ!」と意気込みすぎてしまったことだと考えています。

いやー、今から考えると若かったなぁと思います。
(当時、20代中盤!実際に若かったのも事実ですが…)

要は、相手の立場になって考えることをせず自分の考えを押し付けるだけになってしまったんです。

Tさんは、年上で、能力があって、弟妹がたくさんいて、なんだったら「新しい教室長は後輩だから助けてあげないと!」という気持ちの強い方だったんですね。
(後から聞いたら、私は末の弟と同い年だったそうです (笑))

そんな関係ですから、なかなかうまくいくことはなく夏期講習の目標達成率は100.0%…!!

とにかく気合と、ちょっと強引な営業で数値をいかせただけという結果に終わってしまいました…。

4.ゼロステップ

そんな中、夏を過ぎたころからちょっとずつ関係が変化していきます。

夏期講習は学習塾にとっては「お祭り」で、とにかく1年で一番大変な時期です。

その中でコミュニケーションをとる機会が増え、助け合う場面が増え、とにかく相互理解が深まっていったのが原因だと推測されます。

感性に違いはありましたが、どちらも「合格させたい、点数を伸ばしたい」という思いが一致していること、その手法にそこまで差異がなかったことが分かり、それぞれの性格をなんとなく掴んでいった結果でしょう。

さらに、私の中でも「ああ、この人はお姉さんで女性なんだな」というか、女性講師との付き合い方、Tさんの性格をふまえた対応方法が少しずつ確立されていった実感があり、Tさんの中でも「年下教室長との関わり方」が確立されていったのでしょう。

私は「自分が引っ張る」という意識は捨て「責任は取ります」という部分だけ残し、仕事の一部をTさんに丸投げするようになりました。

「丸投げ」というと言葉は悪いかもしれませんが、私のキャリアは3年程度、Tさんのキャリアは約10年ある中で「任せて欲しい」領域があり、やっていただいた後にしっかりお礼を言うことによって気分良く働いてもらうことができたんですね。

つまり、年上の彼女は「お姉さんとして頼ってもらう部分」を必要としていて、「私は教室長だから全部の方針を決めて全部やります」というような気合はそもそも必要ではなかったんです。

さらに、コミュニケーションの機会も格段に増やしました。

夏が終わると志望校を本格的に絞る時期になりますから、Tさんの知識を借りながら、一人ひとりの生徒をどう指導していけばいいのか考えなくてはいけません。

そこで、可能な限りお昼ご飯を毎日同じ時間に取り、生徒の未来について話し続けました。

これは、私が退職するまでの教室長時代の3年間、ほぼ毎日続けました。

「仕事」ではありましたが、Tさんとお昼に話す時間は非常に楽しく、教室運営、ひいては子供たちの将来にとって必要な時間だったと確信を持って言えます。

このように、私のゼロステップは「固定観念を捨てること、コミュニケーションを増やし相手を理解すること」でした。

私は男社会の中で「絶対王政」の教室運営を学んできましたが、通用しませんでした。

しかし、そこに固執せず「相手を頼る」形に変えたことで、うまく仕事が回り出しました。

また「コミュニケーションが増えた」ことにより、双方の理解が深まり、生徒の将来をより深く考えることができましたし、私が生徒の将来にしっかり向き合っていることをアピールすることもできました。

彼女は熱い人でしたから、「生徒を思う気持ちを強く持っていること」を確認することで動いてくれたり、協力してくれたりした部分も大いにあったと思います。

それに、年下相手に発揮する「お姉さん気質」を早めに見抜けたのもコミュニケーションの賜物です。

ちなみに、この「きっかけ<ゼロステップ>」により、冬期講習は教室史上過去最高の入塾者数を更新、翌年の夏期講習も過去最高記録を更新し、3年間楽しく充実した教室長生活を送らせてもらうことができました!

私の人生の中においても、この教室長生活は基盤であり、大きな影響を感じています!


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さて、初の「ゼロステップ」いかがだったでしょうか。

はじめにも書きましたが、今後は色々な方に「ゼロステップ」書いていただきますので、お楽しみに!

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